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作者の独り言 /タカハシアキラ

 いい歳して今だに飛行機好き。

航空ショーに行くと、子供からおじいちゃんまで空を見上げて幸せそうな顔をしているね。
女性も多い。みんな輝いた子供の目をしてる。
一度飛行機好きになると、一生抜けないらしい。
これは麻薬中毒にも負けない強力さだ。
なんでこんなに引かれるのか、飛行機は不思議。
あの世へ行くまで、いや行ってからもずっと飛行機中毒は抜けないだろう。2001.2.13


 飛行機との出会い

初めて飛行機を見たのは、羽田だ。
1959年頃だろうか。3歳か4歳位のときだと思う。
当時おやじに連れられて、前橋から電車に乗って羽田にいった。
群馬大学の教授様が渡米するのでそのお見送りにいったと、なぜか記憶している。
行き帰りの事はまるで覚えていないが、羽田で初めてポップコーンを食べ、その旨さに驚いたことは覚えている。それからおやじに抱かれて見た旅客機の姿が記憶に焼き付いている。
機種はDCなんとかのプロペラ機だったろう。コックピットを真正面から目の前で見たようだが、あまりの大きさに、飛行機がどこにあるか分からなかった記憶がある。はっきり覚えているが、キャプテン席に金髪の白人パイロットが座っていた。2001.2.19


 飛行機好きに国境はない

ホームページを開設した頃、海外からよくメールがきた。
みんなどれほど飛行機が好きかメールに書いてくる。
アメリカ、ドイツ、イタリア、スウェーデン、トルコ、ブラジル、ペルー、中国。
GeeBeeを作ったアメリカのザンフォード・グランビルの娘さんから、喜びのメールがきたのには感激した。彼女が幼少の頃、父に抱かれて見たであろうGeeBeeレーサー。70年位前にグランビルが作ったエアレーサーが元で、国境と時代を越えた出会いがあることがとても素晴しい。2001.3.9


 水上機のロマン

今は、あまり水上機はない。
滑走路が整備されてあまり必要性がないからだ。
1930年代頃の水上機を見ているとロマンを感じる。
自然と調和した姿、夢をのせて遠い国へ飛んでいくスマートな姿。
シュナーダー・レースの水上機達には、スピードにかける強烈なスピリットを感じる。
お気に入りの飛行機は、見ているだけで癒しになる。不思議 2001.6.12


 初めて飛んだハワイの空

1976年だったか、ハワイの飛行学校でトレーニング受けてプライベート・ライセンスをとった。
ハワイ島からオワフまで、ライフベストをつけて、救命ボートをつんで、訓練で一人クロスカントリーにでかけたときは、緊張した。パイパー機の、載せ替えたばかりの新品エンジンが止まらないことを祈りながら、不安を忘れるように歌を歌いながら、高度1万2千フィートで洋上を飛んだ。
空から見たハワイの島と海はすごく奇麗だった。飛んでいる事を忘れてしまう。2001.6.13


 意外に知らない飛行機の歴史

5年位前に飛行機の本を読んでいて、中島飛行機をつくった中島知久平さんは群馬県の出身だという事を初めて知った。なんだうちの実家の近くじゃない。飛行機好きだが、歴史に興味はなかったので、まったく知らなかった。
知久平さんが日本で初めてだか2番目だかの飛行機製作会社を作り、試験飛行をしたのが尾島町近くの利根川河川敷だそうだ。この辺りは河川敷が広いので最適だ。知久平さんの実家は蚕農家だったそうだ。と言う話しをうちのおやじとオフクロにしたら、「知らなかったの?戦時中、この辺りで知久平さんを知らない人はいなかったよ。」だって。
そういえば、うちのおやじの実家も絹織物工場していたらしい。「県都前橋糸の町」だったかの上毛カルタがあったな。当時この辺りは、飛行機作ったり、絹産業が盛んだったりして、結構なハイテク地域だったのかもしれない。太平洋戦争当時、中島飛行機と言えば、世界トップクラスの飛行機メーカーだ。生まれた時代を間違えたような気がする。まあいいか2001.7.15


 まったく知らなかった飛行機の歴史

少し本でも読んで飛行機の歴史も勉強しよう。
日本の飛行機と言えば、まずゼロ戦だ。
ゼロ戦と言えば堀越技師。さっそく堀越技師の著書を買って読んだ。
あれ、堀越技師も群馬県生まれだったの?知らなかった。
同じ群馬県生まれとして私も精進しなくてはと反省しつつ、当時の群馬は絹産業が盛んで、食うに困らない土地だったので、好き勝手に突っ走っていた人間が多かったのだろうと、冷静に推測した。2001.8.31


 イタリアのマッキ

水上機と言えば、イタリアかな。
1930年頃のマッキ、サボイアなどが素敵な水上機を作っている。
当時のイタリア機は独特のデザインセンスを持っている。
シュナイダーレース機の設計エンジニアであるマリオ・カストルディのデザインセンスには脱帽だ。
スピードにかける執念と、ショーとして見せるための美しさを追及する繊細で上品な感性がわかる。
当時の飛行機デザインを見ると国民性が分かるような気がする。
今の時代の飛行機は、工業品として完成されており、一人の設計者の個性が反映される余地がない。
CADやCAEなどのコンピュータ設計技術がすすんで、誰が作っても同じものになってしまうためだろう。2001.10.15